地安寺の由来

 

本尊 聖観世音菩薩

脇仏 正面から右が毘沙門天、左が不動明王

堂宇 重層入母屋造瓦葺南面

由来 当寺は聖徳太子開剏の地にて天正年中兵乱の節焼失爾来纔に草宇一宇を存す。寛文年中蒲生郡松尾村 今の日野町松尾正明寺に属し禅宗黄檗派の末寺となり。福慧山と号す中興開山は龍渓禅師なり。禅師は黄檗開山隠元禅師の法嗣にして 後水尾院圓浄法皇御得法 普明院宮元瑤内親王御得戒の師なり。

第二世方悦禅師(開山龍渓禅師の弟子)林丘寺監院を勤仕すること数年、是より先普明院宮御孝念により後水尾院御影御位牌安置の一箇寺御建立の勅許を得給う。院は延寶8庚申年8月19日崩御之に依りて元禄11年8月当寺を以て之に充てさせられ宸筆の御歌幷に御自筆の御影等御下附あらせらる。ここを以て毎年8月19日、法皇忌と稱し院の御祥忌を営む(現在は11月3日)。

寶永五年より御影堂御建立、更に菊御紋鑄付の大鐘御寄附、享保五年正月諸方勸化にて鐘楼を建つ。

 

   

同6年10月13日その撞初には宮より御代参幷に御紋附の御提灯1対下し置かれ、同20年7月例により御霊前御簾御下附あらせらる。

御影堂御位牌御安置以来明治維新に至る迄毎年三回(正月、5月、10月)林丘寺宮へ下記目録の品々献上するを例となせり。

正月 献上物

一 鈴溪茶  二折

一 乾蕨   二十連

一 黒豆   一袋

一 仁泉茶  八袋

(仁泉茶は宮御内御上﨟始め各役僧へ一袋づつ献ぜしなり)

上記献上の節村役人地安寺住僧参殿年賀、宮より奏者祝儀として和扇四握御下付を例とす。

五月 十月 献上物

一 鈴溪茶  一壺

一 乾蕨   二十連

一 黒胡麻  一袋

一 黒豆   一袋

(鈴溪茶は明治十二年迄林丘寺へ献納し来れり)

主なる什宝  釣鐘 高さ四尺 徑二尺三寸あり 菊御紋章を付す。

(甲賀市教育委員会 歴史文化財課 資料より)